あの日から6年😞

2011年3月11日の【東日本大震災】から、昨日でちょうど6年が経ちました。

被災地の方々にとって6年間は長かったのか、それとも早かったのか…そんなことを考えながら

お亡くなりになった方々や被災された方々の為に14:46に黙祷を捧げさせていただきました。

あの日は確か・・・金曜日。

築地スタジオに向かおうと乗っていた有楽町線の江戸川橋駅に停車中に大きな揺れに見舞われました。

地上ほどの揺れではなかったと思いますが、長い時間の揺れに恐怖を感じずにはいられませんでした。

「地下は安全ですので地上には出ないでください。」とのアナウンスに車内から出てしばらくは改札口付近で待機していましたが、

メトロは動く気配はないし、ただ時間ばかり過ぎていく状況に痺れを切らし意を決して地上に上がりました。

すでに通りは歩いて帰宅をする人々で列ができ、公衆電話には長蛇の列。遠くの空を見上げると不思議な雲そして不思議な色。

この地震が只事ではないことを察知しました。

まずは生徒達に臨時休講の連絡網の手配。たまたま見つけた誰も並んでいなかった公衆電話からひとりの保護者の方に連絡が付き、

連絡網をお願いすることが出来ました。とりあえずホッとして、さて私はこれからどうしよう…?

電車は動く気配ないし…とりあえずは池袋まで歩いてみようと歩き出しました。

黙々と歩くなか反対方向に向かって歩いていく人の中にバレエ団の後輩がいました。まさかこんなとこで会うなんてと軽く会話を交わし別れました。

ああいう状況時で知人に出会うというのは、とてもうれしいことなのだと初めて感じた感覚でした。

池袋駅に着いても、バスを待つ人々や駅や店舗から締め出された人々でごった返し、落ち着く居場所すらなく最後の決断。

川口まで歩いて帰ろう。赤羽までは埼京線線路沿いの道から離れないように歩きました。

赤羽に着いた頃は右足に痛みが出始めて、荒川大橋を渡れるか不安でした。

荒川を超えないことには川口に帰れない😢 途中休み、休み、やっとのことで川口市内へ。

本町通りまで来て、懐かしい景色にホッとしたのを覚えています。

でももう足が限界。ちょっと歩いては休み、ちょっと歩いては休みを繰り返し、やっと産業道路へ。

川口駅のペデストリアンデッキが壊れていて驚きました😲

それでもまだ家までは大変でした。足引きずって産業道路を歩きました。

帰宅した時間を覚えていませんが、テレビのニュースで地震の被災状況を目の当たりにして呆然としたのを覚えています。

大地震・・・いつ起きてもおかしくない国に住んでいるということ、心に深く刻み込んだ日でした。